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はてなブログ読者が倉本圭造の本を読むならどれからか?

はじめまして、倉本圭造です。普段は経営コンサルタントとしての仕事と、あとは本を書いたり、「日本で働いている個人」に直接文通して何らかの変革的行動を促していく「経済思想家」を名乗る仕事をやってます。

 

最近までグーグルの「ブロガー」を使ってブログを書いていたんですが、このたびはてなブログに引っ越しをすることにしました。

 

最近は色々と忙しくなってしまって、月に2本もブログを書ければ良い方で、そうなると「ブロガー」では頑張って書いてもあんまり読んでもらえない悲しさもあり。もちろんツイッターや、あるいは特にフェイスブック経由で地道ぃぃぃな広がりはあるんですが、もうちょっと読んで欲しいよなーという色気もありまして。

 

はてなブログ」は、ちゃんと良いもの書けば読んでもらえる仕組みが整っているよ、という話を聞きつけまして、ゴールデンウィークを利用して引っ越しをしてみた次第です。

 

まあ、それがどれほどのものかはよくわかりませんが、確かに「はてなブログ」で書かれているブロガーさんの文章で、「いいな」と思うものはネット無精の私でもたまに流れてきて読む機会があることが多い体感がありますので、逆の立場でもそうなってくれたらいいなと思っております。

 

はてなブログに移動してもはてなブロガーさんばかりが読んでくれるわけではないでしょうが、「はてな界隈」という言葉がたまに見られるように、特有の傾向がある読者との「出会い」があると考えられるので、自己紹介もかねて、もし私のブログを経由して私がやっていることに興味を持たれた時に、どの本から入るといいのか?について、書いてみたいと思います。(2015年5月段階で3冊出してます)

 

 

過去にはてなブログで書かれた記事が流れ流れて私も読むことになった場合、2つの大きな「スタイル」があったように思います。

 

一つは、特に田舎出身だったり、”社会階層的にエリートではない出自”だったり、あるいは東京のいいとこ出身なんだけど人生のどこかで「挫折」を抱えた人が、そこから色々頑張って東京などの都会でそこそこの暮らしを手に入れた時に、来し方行く末を概観して、「今いる自分の身の回りの世界」と「自分が育ってきた過程で見てきた世界」との間の、あまりに相互理解不可能な「分断」について嘆いたり、違和感を表明したりしながら、その中で自分や社会としてできることを考えるという話。

 

ある知人がこういうはてなブログの「ホットエントリーの型」を「車輪の下型エントリーヘルマン・ヘッセの小説から)」と呼んでいましたが、なんとなくバズって、今まで知らなかった人の記事をはてなブログで読む時の「一つのパターン」は、こういうものであるという実感、ありますよね?

 

そしてもう一つのパターンは、原発とか沖縄の基地問題とか日米同盟とかの大きな話題や、あるいは日常における「知的な個人主義者にとって我慢がならない日本の集団主義的傾向」といったものへの、「単純な右or左ではないポリティカルな論戦」をしかけるというタイプも、たまにはてなブログから広がって私も読む機会がありました。

 

こういうものでも、もうある種の様式になってしまったような「右と左論争」ではない形での、バカバカしい単純化には抗いつつも、やはりポリティカルな論戦というもの自体の価値というか、そこから生まれるものに何か信頼を置きたいという気持ちが、はてなブログ”界隈”にはひとつの特徴としてあるように思います。(しかし、類型化されてないオリジナルな議論であればあるほど、”徒党を組んで同じことを叫ぶ”型のムーブメントに比べて小さくなるので、普段は見えないんですが、たまにはてなブログから出てくるのが一目に触れるという感じですね。)

 

 

これら、「車輪の下型」にしろ、「単純な右or左ではないポリティカルな論戦」にしろ、そこに放出されている人々の思いの強さとそこに集まる共感の分厚さとは裏腹に、しかしそのエントリがバズってもそこから先にどこにも行けない、ただ「日々の社会のありようによって押しつぶされるだけになっている無力感」と、それゆえに参加者が多少狭量な振る舞いをしてしまいがちな事情などがあって、「はてな界隈」という多少の揶揄も込めた印象をもって受け止められている現状があるように思います。

 

正直言うと私も「はてな民は怖い」という印象がなかったといえばウソになるわけですが、これから自分も参加するにあたって、この「車輪の下型」や「ポリティカルな論戦型」の方向で噴出しているエネルギーを、どうにか「社会の日常性」の中で押しつぶしてしまうだけにならないような、そういう思いを表出したらしただけ良い希望につながっていくような方向に繋げていけたらいいなと思っております。

 

と、言うのも、現代日本の色んな問題は、「アレ!じゃなければコッチ!」というような、つまり「市場経済、でなければ共産主義」だとか、右でなければ左だとか、そういう二者択一的な議論で進むことができない袋小路にいるからなんですよね。

 

そういう二者択一の議論だけをしていると、時代背景とか歴史の流れ的に、「共産主義」だったり「左」だったりの中でのある程度現実的な選択肢というのが限られている現状の中では、「共産主義になるわけにいかないんだから」「左じゃあ限界あるから」という理由だけで「どこまでも市場主義」「どこまでも右」の方向に議論が、そして社会全体の意図決定がグイグイと引っ張られていくことになります。(実際そうなってますよね?)

 

ここで大事なのは、「共産主義に戻れってわけじゃないが」「いわゆる”左”ってわけじゃあないが」という留保条件から始まるちょっと面倒臭い議論の先で、実質的な解決策に繋がる道を模索していくことですよね。

 

ある程度有名な論客になってしまうと、やはり「アレじゃなければコッチ」型の議論に加わらざるを得ないところがあります。常に喧嘩し続けてないと自分のポジションが守れない。論客自体が仕事だとどうしてもそうなってしまいます。

 

しかし、はてなブログ(に限らないんですが、日本のネットの声なき声)の中には、「共産主義に戻れってわけじゃないが」「いわゆる”左”ってわけじゃあないが」の部分をちゃんと扱って行きたいという願いが渦巻いていて、比較的無名な書き手の内容でもバズる可能性のあるはてなブログから出てくる共有物として、

 

・「車輪の下」型
・「単純な右or左ではないポリティカルな論戦」型

 

のエントリーが、たまに盛り上がっては虚しく消費されて忘れ去られていっている現状があるのではないでしょうか。

 

 

ともあれ、私はそういう「どっちつかずになりがちな声」を引き寄せて新しい「共有感覚」を作り出すことでしか、日本社会が色んな意味で「前に進む」ことはできないというテーマで今まで色んな仕事をしてきています。

 

「前に進む」という時に念頭においているのは、

・経済発展のための”改革”が進む
・自分たちの長所にあった経済の実現によって”貧困対策”的なものも実現する

 

という両面、そして、

 

・人種差別や歴史問題や性的マイノリティ問題や・・・といった”意識高い系のアジェンダ”が日本で無理なく理解されるようになる
・自分たちのあり方に対して自然な自信が持てる状態にする

 

という両面、これらは普段「片方だけを強力に推進する人同士」の罵り合いでお互いを傷つけあっているわけですが、日本は今、そういう「極論同士の罵り合い」を超えた「現地現物の解決策」を考えだす歴史的責任を負っているのだと私は考えています。

 

少しだけブログではいつもやっている自己紹介をすると、私は大学卒業後、マッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのですが、その「グローバリズム風に啓蒙的過ぎる仕切り方」と「”右傾化”といったような単語で一概に否定されてしまうような人々の感情」との間のギャップをなんとかしないといけないという思いから、「その両者をシナジーする一貫した戦略」について一貫して模索を続けてきました。

 

そのプロセスの中では、その「社会的にキレイな形」の外側にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラをどうぞ。)

 

まさに、「車輪の下」的な問題意識を突き詰めて、そこから「あるべき姿」を「単純な右or左ではないポリティカルな論戦」としてまとめていく仕事をしてきたという風にまとめることもできるでしょう。

 

私の一連のブログや著作は、そういう方向で物事を考えて、「単純な罵り合い」から一歩身をひいて、何らかの「本当にオリジナルな解決」を目指す人を増やしていきたいという思いで発表されてきています。

 

 

と、言うわけで、ネットの一期一会の中で出会ったあなたが、倉本圭造の活動にご興味をお持ちいただいたとして、まずどれから読めばイイの?という話をします。

 

上記の「車輪の下」型記事に共感する自分がいる・・・というあなたは、まずデビュー作の

amzn.to

からどうぞ。

 

このページで、「はじめに」が無料で読めます。

 

「はじめに」の中で、京都府の美山の原生林の中で出会った「本当に柔らかい土」と「自然における競争の本質」についての話は、今でも読まれた多くの方に「あそこが凄く良かった」という反応を頂いております。まずは上記の「はじめに」からお読みいただければと思います。

 

また、「単純な右or左ではないポリティカルな論戦」型の記事に共感する自分がいる・・・というあなたは、二作目の

amzn.to

をどうぞ。

 

その内容についてのダイジェスト版的なものに(結果として)なった、最近のブログ記事がこちらです↓。

「そろそろ安倍政権を倒したいあなたに授ける戦略」

 

上記の初期二作は、2つともそれぞれなりに暑苦しいので、まずは「入門」的な形で倉本圭造の作品を読んでみたいという方は、最新作の

 

「アメリカの時代」の終焉に生まれ変わる日本」
をお読みください。

amzn.to

 

一番軽くて読みやすく、かつ色々と現代の状況の混乱の中での進むべき道筋についてコンパクトにまとめてあります。

 

三作はそれぞれ扱っているテーマが違っていて、相互補完的な役割を果たしていますので、どれかから入られて気に入られたら、他の作品もお読みいただければと思います。

 

また、もし本を読まれて、より深い関係で一緒にやっていきたいと思われた方は、「文通」サービスもご検討いただければと思います。

 

 

やはり時代の流れというものには逆らえないところがあり、例えば私も5−6年ほど前に本を出してデビューして、ネットでもそこそこ知られる存在になってしまっていたら、もっと「右」的な極論を言っているか、あるいは「物凄く市場原理主義的」なことを言っていないといられないような境遇に押し込まれてしまっていただろうと思っています。

 

「論客」が本業になってしまうと、「本当に自分が考えている”吉良なるもの”」からどんどん外れていってしまう危険性からは逃げられなかっただろう。

 

しかし、時代も変わってきて、「アメリカの一極支配力」も弱まってきた今だからこそできる、「極論でないが確固としたポジション」を一歩ずつ培っていくことも、可能な情勢になってきています。

 

はてな界隈」の皆さんとの出会いと、そこから生まれる力を楽しみにしています。

 

 

ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。


2005年5月5日
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
公式ウェブサイト
ツイッター

 

 

ps
ブログのコメント欄という存在が、どうも距離感をはかりかねるところがあって私は苦手で、仲良くなりすぎると他の読者さんから見て変だし、荒れてきたらメンテナンスも大変だしということで、コメント欄は作っていません。

今の時代コメント欄がなくてもそれぞれの方のホームグラウンドで「何かに対する意見」を表明する場所は色々あるし、そこに共有されるものもあるので問題はないと思っています。

私に直接感想を伝えたい、意見を言いたい方は、ツイッターでリプライを飛ばしていただくか、私のホームページのコンタクト欄からメールをいただければと思います。